書きたいときに書けばいい

アラサーOLが真面目なことを書いたり書かなかったりやっぱり書いたりする

ネガティブとかじゃないんですよ

上野でひとり飲み中。

 

たまに、「本当は自分は誰からも理解されていないんじゃないか、好かれていないんじゃないか」との疑念に駆られる。

 

ひとりなんだなー、と思ってしまう。

 

これはネガティブとか、そういうことではなく、私の特性上そういうモードで思考してしまうときが定期的にくるのだ。

 

どれだけ抗っても、人は孤独には耐えられない。

孤独が1番こわい。

孤独は1番避けたい。

 

自分の意思とは無関係にそういうものだ。

 

客観的に見ても主観的に見ても、私は恵まれていると思う。

 

だったら、こんなこと考えなくていいじゃん。

 

そんなことはわかっているのだが、どうしようもなく考えてしまうときがある。

 

自分は何もできていないんじゃないか。

そう思うときもある。

 

なんで会社で今この立場でやらせてもらえてるんだろう、とか。

 

まあ、こういうことを考えているうちは健全なのかもしれない。

 

そう思って気を紛らわせる。

 

 

エルニドに来ています

フィリピン、パラワン島のエルニドに来ている。

 

 

久しぶりの海外ひとり旅。

 

エルニドのことは知らなかったのだが、知人にすごく勧められて気になったのがこの旅のきっかけ。

 

飛行機は初めてのセブパシフィック。

3度のフライト変更があり、最後には欠航にまで…。

 

朝5:50にクラークからエルニドに飛ぶはずだった飛行機が朝3時過ぎに欠航の案内がきた。

 

大丈夫なのか、セブパシフィック。

 

空港のカウンタースタッフのお姉さんがめちゃくちゃ探してくれて、なんと4:40の飛行機に振り替えてもらえた。

ありがとうお姉さん…!

 

そんなこんながありながらも予定より少し早めにエルニド到着。

 

とはいえホテルのチェックインは14時なのでそれまで時間を潰す。

 

ビーチサイドでだらだらしながらひたすら読書。

 

今回の旅ではこういうことがしたかった。

綺麗な海を見ながらのんびりする、そんなことを求めるような人になるとは。

 

ビーチには犬がたくさんいて癒しポイントが加点される。

 

 

この後は一旦ホテルでゆっくりして、夕方からサンセットを見に行こう。

 

今回の旅もいろいろなことを考える時間にできるといいな。

 

 

人との接し方について意識を変えた話

 

●その人が話している内容だけではなく、その人を取り巻く「気」も見て感じる。

 

●相手の立場に立ちきって、心情に寄り添う。

 

昨日の夜、こういう意識を持って人と接するようにしようと思い立った。

 

そしてさっそく今日、職場で実践してみた。

以下、実践してみての感想。

 

・疲れる。いつもより集中している

・相手の発言に対しての自分の感想がいつもよりも湧いてくる

・自分の表情の変化に気づく(悲しくなったら悲しい顔、微笑ましかったら微笑ましい顔をしてるな、と鏡を見ずとも思う)

・普段は訝しげに見てしまうことが多い相手こそ、愛を持って見ることができたような

・街中でポケットティッシュを受け取った。「この人も頑張ってるんだよな」と。

・しかしそのすぐ先で同じお店の人が同じポケットティッシュを配っていたのだが、それは会釈してスルーしてしまった。

「さっき貰ったから」との都合のいい言い訳を心の中でしていた。

・いつもより気持ちが優しくなれたような

・1日からで過ごしてみたら心が晴れやかだ

 

こりゃあ良い心がけだな。

明日からも続けよう。

そして今日より明日のほうが、より相手の心情に寄り添えるようになっているよう努力しよう。

人生の広がり

夜のお付き合いが長引き、寝不足のまま大阪へ。

 

この土日は音楽ライブを2本と新喜劇を観る予定だ。

 

1泊2日で大阪に来るなんて、なんだかすごく気軽なことになっちゃったな。

 

大学生の頃は一大旅行だったのにな。

 

往復3万円の新幹線、片道2時間半。

3万円は気軽な金額だと感じるようになったし、移動時間は睡眠時間や読書時間に充てる。

私にとって新幹線での読書は有意義だ。

 

お金(稼ぎ)がもたらしてくれる人生の広がりはとてつもない。

だけれど、より高度な人間性を持ち合わせていないと、その広がりは得られない。

(より高度な、って、何と比べて?とも思うが便宜上そう表現する)

 

死ぬまでに私の人生はどこまで広がるんだろう?

それによって私は何をどう感じるんだろう?

 

 

 

 

 

 

「好み」による判断

仕事における意思決定・判断って、「好み」の要素もあるよな、と気づいた。

 

意思決定・判断というと、これまでは「いかに上司と近いそれができるか?」の軸で思考していた。

 

つい先日、同じ物事に対して、自分がしなかった判断を社長がしていたことがあった。

そのとき、「あっ、ここはそっちなのか」と思ったのだが、その後に「いや待てよ?これって、ここにコストを張りたいという好みの要素もあるんじゃないか?」との考えもでてきた。

これは今までの私にはなかった視点だった。

最終的に行き着きたいゴールに対して、その過程での意思決定・判断は大いに好みでやっていいのかもしれない。

というか、人間がやる何かである以上、その要素の排除はできないような気もする。

 

しかし、好みというのは男女による違いは大きくでるので、そこは男性の協力をもらいながらバランスよくやっていきたい。 (例えば、私は大胆なリスクテイクはできない)

 

こういう、何かに対する解像度が高まっていく瞬間が大好きだ。

テーマがわかった

忍耐と調和。

 

これが私がフラをやるうえでのテーマだとわかった。

すごくしっくりきている。

 

今の私はどちらも持っていない。

フラをやることで身につけなさいね、と誰かから言われているのだ。

 

 

かたいとやわらかい

 

昨日から宮古島にひとり旅に来ている。

 

 

とある方からの「シンプルに考えてみたら?」とのアドバイスのもと、海辺でぼーっと考えてみた。

 

私は意外と心配性である。

先のことを考えがちである。

 

宮古島に来ても、「この後何しよう」、「時間が空いちゃったら何しよう」なんてことを考えてばかりである。

 

「今を生きる」、「一所懸命生きる」ができていないな、と改めて思わされた。

 

過去はあまり悔いないが、未来のことは気になってしまう。

 

失敗したくないのだろう。

無駄な時間を過ごしたくないのだろう。

 

無駄なことにこそ"何か"があると頭ではわかっているのに。

 

今を生きたい。

今だけを。

 

宮古島にいると、身体が柔らかくなっていくような気がする。

 

普段は身も心もカタイのだろうな、と気づいた。

 

私は無意識だとカタくなってしまうタイプだ。

だから意識的に柔らかくあるときを設けたほうがいいのだろうと、なんとなく思っている。

 

自然体で柔らかくなりたい。

今を生きたい。

 

明日は、さっきビーチで出会ったおっちゃんがドライブに連れて行ってくれる予定だ。

 

今の私は、本当はこういう人生にしたいんだろうな。