記録

26歳OLが真面目なことを書いたり書かなかったりやっぱり書いたりする

思いがけずして叶った願望についての話

 

藪から棒ではあるが、いま私は極めて稀有で奇跡的な状況にある。

 

前提として、衣食住が満たされていて、五体満足であるだけで私は幸せだ。

その上の精神的充足は人生のボーナスゾーンだと捉えている。

つまり私はいまボーナスゾーンで生きている。

 

最近はそんなボーナスゾーンのさらに上を生きている気がする。

 

・・・・・

 

高校生の頃、私は商品開発という仕事に憧れた。

 

2の夏、学校で社会人による講演会が行われた。

その場で広告業界で働く人の話を聞いた。

 

「人が1日にどれだけの数の広告を見ているか知っていますか?なんと3000もあるんですよ」

 

初めて知る世界でワクワクした。

それから広告業界について調べた。

そうすると、普段何気なく使っているものや食べているものは、広告に限らずたくさんの人のアイデアと努力が詰まったものだと知った。

 

そこで疑問が湧いた。

「なぜ働く人たちはこんなに頑張っているにも関わらず、人々の不満はこの世からなくならないのだろう?」

 

そしてこう思った。

「広告は伝える手段である。そこでいかに伝えるかをどれだけ考えたとしても、伝えるものの質が悪かったら意味がないのではないだろうか?であるならば、良いものをもっとたくさん作ればいいはずだ。私は将来、自ら商品開発をして世の中から不満をなくしたい。」

 

なんとも純粋な高校生であった。

 

 

その想いを抱えたまま福岡大学商学部へ進学した。

学部のいろんな教授に会っては商品開発がしたいと語った。

そしてその度に聞かれた。

「なぜ商品開発がしたいのですか?」

 

その問いに答えると、教授たちはさらに「なぜ?なぜ?」と問うてくる。

(めんどくさい…)と思った。

 

しかし、自分でも今一度なぜ商品開発をしたいのか考えてみた。

理由はシンプルだった。

 

「自分がもっと幸せになりたいから。そのためには自分のまわりを幸せにしなくてはいけない。幸せな人に囲まれることが自分の幸せにつながる。そうして幸せを広げて世の中をより良くしたいんだ。」

 

そう考えると、商品開発じゃなくてもいいことに気付いた。

何の仕事でもその想いは叶えられるんだ。

 

 

途方に暮れたまま大学4年生になり就職活動が始まった。

自分のやりたいことなんてわからなくて途中で就活をやめた。

運良く、卒業直前に就職先が決まった。

なんと、入社後もしばらく気づいていなかったのだが、就職先は商品開発をメインに行なっている会社であった。

 

・・・・・

 

私は昔から無類の唐揚げマニアである。

実家では、料理上手な祖母に「何が食べたい?」と聞かれたら、いつも「唐揚げ!」と答えていた。

誕生日も運動会もクリスマスもお正月も。

我が家のおせちには唐揚げ重が存在する。

 

 

よく、「好きを仕事に」と聞く。

かつての私は思っていた。

「好きを仕事にって言ってもそんなに上手くいくもんじゃないよ。そんなの、限られた一部の人にしかできないことだ。」

 

でも。

いま私は、好きを仕事にしている。

なんと、唐揚げ好きが高じて、唐揚げに関する仕事をしているのだ。

しかも、唐揚げの油分と水分を吸収して美味しさをキープする吸油ペーパーを作って売るというなんともマニアックなところを突いている。

 

このペーパー、イチから自分で作った。

「こんなペーパーを作りたい」と思って、特許を取って、工場に「作ってください」とお願いした。

そうしてできた。

もうすぐ商品として納品される。

 

・・・・・

 

・かつて夢見ていた商品開発という仕事をした(している)

・好きが仕事になっている

 

こんなに奇跡的で幸せなことがあるだろうか。

潜在的に感じていたことが意図せず叶った。

 

同じような体験をしたことのある人がこの世にどれだけいるだろうか。

 

そう考えると、本当にありがたさしかない。

この世の全てに感謝したい。

それと同時に世の中に対する使命感も感じる。

まわりから受け取っている幸せを返していきたいし返していくべきだ。

 

20221117日時点で、私は人生に対して何の不満もない。

よく、「悩みがないことが悩み」だと言う人がいるが、不満がないことはまったく不満ではない。

新たな気づきである。

 

 

果たして、私の人生はどこまで発展するのだろうか。

自分を変えることについての面白い話

 

昨日、会社で社長から「自分を変えることそのものは目的になりうるのではないか」という話を聞き、それがとても面白かったので少しの持論も交えながらここに記したい。

 

一般的に、「自分を変える」や「成長」は、何かしらの目的がある上での手段であると言われる。
私は目的・手段論争をしがちなので、やみくもに「成長したいんです!」という人を見ると(何のために?)と思ってしまう。

しかし、社長の主張はこんなものだった。
「確かに自分を変えることは手段なのだが、それは実は表層的な話なのではないだろうか。変えることそのものは目的になりうるという深い気付きに達した気がする。」

 

ベイズの定理」を使った「モンティホール問題」なるものがある。

qiita.com

 

詳細は上記に譲るが、つまり、「変えると当たる確率が上がる」のだ。

 

世には自分を頑なに変えたがらない人が多い。(と私は見受ける)
エゴからくる何かへの固執や執着が強いからだ。
「私はこういうスタイルだから」
「そんなこと言われる筋合いはない」
「なんで私が変わらなきゃいけないの?理由は?それってメリットあるの?」
など。
特に女性はメリット・デメリットで判断しがちらしい。

 

でも…。
モンティホール問題を見るに、理由や目的なしに変えることは合理的なのだ。
誰かから「あなたのこういうところをこう変えたほうがいいよ」と言われたとしよう。
その時、良心に背かない限り、変えてみたほうが人生は良くなるのではないだろうか。
だって、変えてみて良い結果が出なければ、良い結果が出るまで変え続ければ良いのだから。

 

おそらく、自分を変えるということはトライ&エラーの繰り返しなのだと思う。
変えないという選択を取り続ける限り、トライがないのだから何も変わらない。

 

私は自分を変えることに抵抗がないほうである。
相対的に好奇心が旺盛で、相対的に素直だからだ。
また、飽きっぽい性質も起因しているだろう。

それで、これまでの自身の人生を振り返ってみると(と言っても20数年しかないが)、大学生以降どんどん自分を変えてきたように思う。
そしてその結果、どんどん人生が豊かになっている自覚がある。

自ら「ここは変えたほうがいいな」と思って変えたところもあれば、信頼する人から指摘されて「この人が言うんだったらそうしたほうがいいんだろう。まあとりあえず変えてみるか。」と軽い気持ちで変えたところもある。

 

嗚呼、「変える目的がわからない」と言って自分を変えないことのなんともったいないことか。
論理的に証明されていることを実践しないとなると、それはバカか人生を良くする意志がないかである。

 

まあ他人が自分を変えようが変えまいが良いのだが…。
とにかく私にとっては面白い話であったし、これからも合理的選択として自分を変え続けていこうと思った次第である。

 

 

 

仕事の楽しさと人生の豊かさとキャリアと

もうすぐ社会人3年目が終わろうとしている。

わたしが働く会社では毎日のように「組織風土」、「チームづくり」、「人材育成」など、人に関するテーマが話されている。

これは極めて合理的なことで、あらゆる問題を深掘っていくと、必ず人間性(心根)にたどり着く。

そうであるならば、いかにひとりひとりが人間性を高め、その人たちでどんな組織を形成していくかを考えることに時間を費やすのは普通である。

(とは言えこの会社は創業以来ありえないぐらいそこに時間を費やしている)


それで、わたしが今思うのは「愛社精神」と「覚悟」が非常に重要だということだ。

なぜなら、この2つをいかに持っているかによって、

①やりがい、充実感

②①によって生じる成果、会社に対する貢献

③②によって生じる評価、待遇

が変わってくるからだ。

この2つを持つ度合いが高いほど①〜③は豊かなものになる。


わたしたちはプロサッカー選手がサッカーをするように仕事をしている。

サッカーが好きでサッカーが楽しくてたまらない。

そしてこのチームを必ずや勝利へ導きたい。

そんな気持ちで日々仕事に励んでいるのだ。


わたしが思う、この会社の敗北とは、わたしたちの思う正しさが世の中に通用しないことだ。

(この正しさのことを「新しい昭和」と呼んでいる)

わたしたちは仕事は娯楽のようなものだと思っているし、徹底的に人を大事にし多様性を尊重するし、性善説に基づいてマネジメントをするし、原理的民主主義による意思決定をする。

このようなわたしなりの正しさ(=仮説)を持ちながら経営をしているのだ。


わたしは人生をかけてこの仮説を証明していくことに意義を感じている。

なぜなら心の底から共感しているし、この仮説が証明されたら世の中はもっと良くなると信じているからだ。


話は少し変わるが、なんらかの理由でコウダプロという会社を辞めて、他の会社で働くことになったら、生体としては生きていても心はどこか死んでいるように感じるのではないかと思う。

わたしにとってコウダプロで働くことで感じる楽しさや充実感は「生」そのものである。

こんなにも人生を全うしている感覚を持てて本当に幸せだ。ありがたいことだ。


そんなことを思いながらも、社会人3年目が終わろうかとしているにも関わらず、「わたしはいったい何ができるというのだろう?」とふと疑問に感じた。


仕事柄、他社の求人を見て勉強することがある。

キャリア採用ページを開いて「求めるスキル」欄を見たとき、「わたしは採用という職種ぐらいでしか成果をアピールできないのではないか?」と思ってしまった。

(それとは別で、しっかりやったわけではないが、業務改善や生産管理はかなり得意だと自負している。得意というかもはやそういう性質なのだ。)


もちろん転職する気は甚だない。

それに自分のキャリアプランなんてものも持っていないし、キャリアの積み上げに興味もない。

とは言え、アピールできる成果がないのではないか?と気づいてしまうとなかなか焦る。


わたしはマルチタスクで幅広いいろんな仕事を経験させてもらっている。

本当に大事なことは曖昧でわかりづらいものであることが多いが、それを言語化できないのは自分の足りなさではないかとも思う。

未だに「あなたの仕事はなんですか?」と質問されると回答に窮してしまう。


わたしの仕事は何なのだろう?


自問自答しながら、また明日から精進するのみだ。


「仕事が楽しくない」と言ってしまう人は「仕事を楽しむための努力を怠っている」だけだと思う話。

ちゃす!

わたしです。


3ヶ月前に「好きなことして生きていこうよ」的なブログを書いたのですが、思っていることと書いたことに齟齬が生じているような気がしてモヤモヤしていました。

https://mi3du2.hatenablog.com/entry/2020/08/17/200310


わたしがここで言いたかったことって、「好きなことして生きていこうよ」というよりも「自分のやっていることが誰かから与えられたものであったとしても好きになれたら楽しいよね」ということでした。(3ヶ月越しの新たなアウトプット)


このときのブログで例にあげた「鉄オタは鉄オタを極めて〜」的なことって理想論であり、それを叶えられるのは少数派だよと思われがちです。

で、それは事実なのでわたしの書いたことには無理ゲー感がありました。


わたしが約1年半社会人として仕事をしてみて感じているのが、「世の中には面白くない仕事ってあまりないんじゃないか?」ってことです。

というのも、この約1年半で様々なジャンルの様々な粒の仕事をやらせてもらいましたが、わりとなんでも面白くて楽しく取り組めているのです。

ただ、全てが最初から面白かったわけではなく、中には「んー?なんだこれ?興味持てなさそう…」なこともありました。

けれどもそういうものでも「とりあえずやってみるか!」の精神でやってみると、だんだん面白くなっていきました。

これは"仕事としてやらせてもらえている"ことが非常に有難いのですが(プライベートで興味のないことに手をつけるってあまりないから)、仕事だから追求せざるを得ず、追求していくとわりとどんなことでも必ず"おもしろポイント"を発見してしまうんですよね。

※ただしこれはまだ約1年半しか働いたことがなく、世の中の多くのことを知らないからこその視野の狭さからくる考えですのでもちろんどうやったって面白くない仕事もあるんだろうと想像します。(このようなどうやったって面白くない仕事を世の中からなくしたい想いもあるが、それは本筋からは外れるのでまた別の機会に…)


そして、面白くて楽しい仕事は必然好きな仕事になります。

そうするといつの間にか「好きを仕事に」を体現していることになるのです。


とすると、「仕事が楽しくない」ってつまり「仕事を楽しむための努力をしていない」と同義なのではないか…と思ってしまいます。

わたしは基本的に怠惰な人間です。

そのくせ好奇心を持ち合わせてしまったがために、努力せざるを得ない人生になってしまっています。

ただ、「努力してる!!」って感覚はなくて、「楽しいこと追求してたら(=楽しむためにいろいろと漁っていたら)結果的に頑張っていることになっているのだが」という感覚です。

「楽しむ」ってスキル的な側面があると思ってて、だから仕事が楽しめないのってそのスキルがないだけなんです。

スキルとは言っても先天的なものではなく後天的なもの。

だから誰でも身につけられるし、そうすればみんなもっともっとハッピーになる。


3ヶ月前のブログでわたしが言いたかったのって多分こういうことです。


でも、上記のようなことには前提条件があると思っていて、それは「そもそもその会社が好きか?その会社に共感しているか?」ということです。

その会社が好きでないと、その会社に共感していないと、「仕事に対して誠実に向き合って、会社に貢献しよう」の気持ちが持てないと思うんですよね。


わたしは今働いている会社にとても共感しています。

だから貢献したいし、自ら会社をリードして成長させていきたいです。

共感するとは自分事化することだなぁと思います。

「会社は公器」とはこういうことなんじゃないでしょうか。


こんな風に働けていることがとても幸せで恵まれていて、わたしの人生こんなに上手くいってていいのかよ…という気持ちです。

あらゆることにおいて「楽しむにはどうすればよいか?」を考えているからこその人生なのかなぁなんて思っています。(確か小2ぐらいの頃に習字で好きな漢字一文字を書こうというお題があって、「楽」と書いたのでその頃からたいして変わっていないのかもしれないです)




さ、明日からも楽しいこと最優先に生きていきます!




「失われた30年」は熱意を持った働き方ができれば40年にはならないのではないか、という話

 

大学3年生ぐらいから、わたしはずっと「みんなが自分の好きなことや得意なことを仕事として生計を立てられたら、世の中はもっとハッピーになるのではないか?好きでもない仕事を我慢しながらやっていても、その成果を授かる人々はあまりハッピーではないような気がする。だから、わたしはそんな世界を創りたい!」という想いを持っている。

 

「失われた30年」、「なぜ日本企業は競争力が低いのか」
そんな話を聞いていると、「そりゃあイヤイヤ仕事している人々が集まって生産活動をしていたらそうなるだろう」と思ってしまう。

 

人は、自分の好きなことや楽しいこと、ワクワクすることにしか熱意を注げない。
熱意を注ぐとは、我も忘れて、ただひたすらにその物事に向き合ってしまうことだ。
そこには時間もお金もあまり関係ないような気がする。

 

働き方改革、生産性向上、ダイバーシティの推進・・・。
これらは何のために謳われているのだろうか??
世の中をよりよくするため?
もちろんそれもあるだろうが、それ以上に「楽をしたい」とか「こういうことぐらいにしか目を向ける気がない」とかいうような気がしてしまう。
なんだか上手く言えないが、守るばかりでより良くしていくためにすべき攻めをしていないのではないだろうか。
割合としては小さな悪をなくすために大きな善を自ら手放しているような…。

 

これは否定的な批判ではなく、本当に「失われた30年」や「なぜ日本企業は競争力が低いのか」といったことを課題とし、解決したいのであれば、もっと異なるベクトルに目を向けたほうが良いのではないかと思うだけである。

 

熱意を注いでやる仕事からは、きっと良質で人々を喜ばせるアウトプットが出てくるだろう。
というか、真に良質で人々を喜ばせるアウトプットを出したい人たちは働き方改革、生産性向上、ダイバーシティの推進なんてこと、無視はせずともフォーカスはしていないのではないだろうか。

 

改革やルールは"何のために"適用するのかをよく考えて使いたい。

 

というわけで、冒頭に書いたわたしの想いは、わりと本気で目指してもよいことなのではないかという気がしている。

 

鉄オタは鉄オタを極めて、それで食べていけるようになると幸せだなぁ
昆虫が好きな人は昆虫採取を毎日できるようになると幸せだなぁ
お菓子作りが好きな人はそれをどんどん極められるようになると幸せだなぁ

 

わたしは、こんな「ようになると幸せだなぁ」を実現していきたい。
そして、そのための第一歩は、まず自分が楽しいと思えること、ワクワクできることを仕事にして豊かに暮らすことだ。
自ら体現することが、何よりもの説得力になると、今は思っている。

 

遊ぶように仕事をし、仕事をするように遊ぶ。
これは良いことだが、仕事は遊びではないし、職場は遊技場ではない。

 

何のために何をどう変えていくべきなのか、私自身もまだまだ前提条件に縛られていることだらけなので、もっと透明な人間になりたい。

 

 

 

 

Books&Appsライターのノウハウをマンツーマンで教わった話【Webライティングセミナーレポート】

 

先日、Books&Appsを運営するティネクト主催のWebライティングセミナーに参加した。
講師を務められたのはティネクト取締役の楢原さんだ。

「もうひとつ突き抜けたライティングスキルを身に着けたい」
「読んでいて心地の良い文章を書けるようになりたい」
「というかそもそもBooks&Appsが好きだし、信頼感もあるから話を聞ける機会があるのなら参加したい」

そんな想いから参加を決めた。

セミナーはオンラインで開催されたのだが、案内されたZoomにインしてみると、なんとまさかの楢原さんとわたしのマンツーマンレッスンだった。
セミナー参加募集ページには定員10名と書かれていたので、まさかこんな形だとは夢にも思っていなかった。
なんでも、過去にも数回開催されており、毎回4~5人くらいの参加となっているそうだが、今回はたまたま申し込んだのがわたしだけだったらしい。

(これは...ツイいてる...!そしてチャンスだ!)

開始早々そう確信したわたしは、今日のこの3時間を充実させる気持ちでいっぱいだった。

 



 

これは、Books&Appsの2013年から2015年までのセッション数(アクセス数)を分析したグラフである。

 

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今でこそ「ビジネスパーソンを励ますWebメディア」として有名なBooks&Appsだが、メディア立ち上げ当初は、そんなコンセプトはなく、本やアプリのレビューを投稿するサイトだったらしい。
結局人は自分に書けるものしか書けない。
そして書けるものとは、多くの場合、自分が関心のあることや好きなことだ。
それをまずは友人に拡散し、SNSでのフォロワーを増やしていく。
メディアの成長はそこから始まるのだ。

その後、Books&Appsは、FBで拡散されたり、外部メディアへの寄稿によってその名が広まったり、とある記事がバズったりなどを経て、今日に至る。
中でも面白いと感じたのが、立ち上げから1年以上経ってUIの変更をした際に、サイト内にランキングタブを設けたことだ。
Books&Appsにおけるランキングタブとは、「今週の人気」と「TOP100」だ。
わたしはいつもBooks&Appsを訪れた際に、必ずその2つのタブをクリックして、その中から面白そうな記事や多く読まれている記事を読んでいる。
そのタブはどんなサイトにも当たり前にあるものだと思っていたが、これによってメディアの成長に繋がるという視点は持っていなかったため、新しい発見だった。

 

同じ価値観の人からのセッションを超えた先にあるのは、他人からのセッションだ。
この段階まで来ると、アンチもやってくる。
だが、アンチからの声を気にしすぎるのではなく、そこまでも届いたことが重要なのである。

 

 

ここまで、Books&Appsがいかにメディアとして成長してきたかについて紹介してきた。


Books&Appsは、ティネクトが保有するオウンドメディアである。
オウンドメディアの目的は集客することだ。

重要なことなのでもう一度言う。

オウンドメディアの目的は"集客すること"だ。

つまり、ライターの役目とは人を連れてくることなのである。
人を連れてきた後に、それを顧客にするのは営業の仕事であり、ライターの仕事ではない。

 

この話を聞いて、ライターにとってなされるべきことがハッキリとわかった。
集客することによって、そこからファンをつくる活動ができるのがオウンドメディアだ。
それに、そもそもオウンドメディアはファンをつくる活動に他ならない。
だからまずは自分のフォロワーにウケるものを届けていきたい。
また、読者を連れてくるライターになりたいとも思う。

 

ちなみに、月間で10万~20万PVぐらいになると、集客として有効だそうだ。

 

 

ここまでで、オウンドメディアの目的とライターの役目がわかった。
では、その役目を果たし、目的を達成するためには何が大事なのだろうか?

 

オウンドメディアにおいて、多くの人を集めるためのポイントは次の3つだ。
①検索されやすい(検索ニーズが高い)
SNSで拡散される(面白い)
③リピーターを生む(希少性)

 

検索されやすい記事とは、以下3つのいずれかを満たす記事である。
1.検索ニーズが高い
ex)AndroidとiOSのシェア比較、世界のデータと年間推移で分かること | 株式会社キャパ CAPA,Inc.


2.専門性が高い
ex)GeneXus × アジャイル開発で理想のアプリケーションを | 株式会社キャパ CAPA,Inc.


3.時流を得ている
ex)約4年ぶりにMacBook Proがリニューアル。でもそれ以外のMacBookシリーズも買い時が来てる | 株式会社キャパ CAPA,Inc.

 

 

SNSで拡散される記事とは、以下3つのいずれかを満たす記事である。
1.みんなが興味のある話題
ex)Googleの社員食堂に感じた、格差社会のリアル。 | Books&Apps


2.意外性がある
ex)部下が報連相しない理由は、上司に報告・連絡・相談するメリットがなにも無いから。 | Books&Apps


3.賛否両論ある
ex)「運動は体に良いと言ったな。あれは嘘だ。」 | Books&Apps


みんなが興味のある話題かどうかで読まれるか読まれないかの7~8割が決まってしまう。
書き手なりの視点があるかどうかで意外性の有無が決まる。
書き手の主観が含まれると賛否両論が生まれ、Twitterでウケやすい記事となる。
ただ、賛否両論が行き過ぎると炎上することもある。
だが、炎上を起こすのはそう簡単なことでもない。
炎上は、
1.みんなが「自分に関係する」と思う話題
2.誰かを見下す・バカにする、嘘をつく
3.一般常識を逸脱する
のすべての条件を満たさない限り発生しないのだ。
したがって、「自分のパートナーや子どもに言えないようなことは書くべきではない」と思っていればまず炎上することはないだろう。

 

リピーターを生む記事は、PV数を生むことよりもライターのファンになってもらうことを目指している。
ライターのファンになると、そのメディアを覚えてもらえる。
それに、ブックマークもしてもらえる。
例としては以下のような記事だろう。

ほとんどのネットサロンはお金を出して電子ゴミを買う場所。 | Books&Apps

高橋留美子先生のマンガ「1ポンドの福音」はホントに面白いからおすすめ。 | Books&Apps

日本一辛い麻婆豆腐を食べたら人生が光り輝いてみえるようになった話 | Books&Apps

 

オウンドメディアの閲覧者は、
・欠かさず見に来るファン
・とりあえずチェックしているフォロワー
・偶然来た新規ユーザー
に分けられる。
この閲覧者区分に応じて、上記3つのポイントを使い分けられるのが優れたオウンドメディアのライターなのではないだろうか。

ただし、プロのライターが記事を書き、プロの編集者が校正したところで、その記事がバズらないことは確実にわかるが、バズるかどうかはわからないのだ。

また、オウンドメディアで多くの人を集める3つのポイントを見るに、Webライターに求められているものは拡散力(フォロワー数)とオリジナリティの高い経験であり、文章力はあまり重要なことではないことがわかる。
自分に書けるものを書くからフォロワー数が増えるのであり、それがWebライターの原稿料に繋がる。
書きたいこととフォロワー(=世間)のブリッジとなるのがWebライターなのである。
つまり、バズるかどうかはわからないと書いたものの、人気記事にするには、
みんなが興味のあること×珍しいこと
の組み合わせでライティングすることは鉄則だ。
そして、もう1つ大事なのは、「どんな話題でも自分ごととして読ませる」ことが書き手の実力であることを知っておくことだ。
わたしは今までずっと、ターゲットとする人にいかに刺さる記事を書くかばかり考えていたが、この事実を知ってハッとした。
わたしが書き手として真の実力をつけるために飛躍すべきポイントはきっとここなのだ。

 

 

ここまで、オウンドメディアのライターが知っておくべきことについて紹介してきた。

オウンドメディアにはもうひとつ重要なことがある。
それは、コンバージョンを生み出すことだ。(ただしこれはライターの役割ではなく、運営側の役割である。)
コンバージョンを生み出すためには、オウンドメディアにおいてもっとも効果的な告知場所を把握しておかねばならない。
個人的には、今回のセミナーにおいてこの話に1番感動した。

と、ここで、わたしがいかにして今回のセミナー参加に至ったかについて紹介しよう。

 

セミナー開催の2週間前、なんとなくBooks&Apps内の記事を読んでいたときのこと。
記事を下までスクロールし、読み終えると、記事内のセミナーのお知らせがあった。
そこにはセミナータイトル・内容・日時・参加費・定員・申込ページへのリンクが書かれていた。
興味を持ったわたしは申込ページ(Peatix)へ飛び、参加の申し込みをした。

 

これがオウンドメディアにおいてもっとも効果的な告知場所だ。
"これ"とは、
「記事を下までスクロールし、読み終えると、記事内のセミナーのお知らせがあった。」
これだ。

 

実際の記事だとこうなる。(これは別セミナーの募集だが...)

ホワイトな勤務先・ホワイトな社会には、ホワイトな人間が求められる | Books&Apps

 

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楢原さんいわく、ティネクト主催のイベントはほぼここでしか告知していないとのことである。
楢原さんは、トップページやメディア内の広告にはユーザーは来ないことを知っているのだ。
"全ての記事の下に"コンバージョンポイントを置くことがキモだ。
告知内容に関わらない記事だとしても告知する。


実際、ティネクト主催のセミナー申し込み状況はこのようになっているそうだ。

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これにはかなり感動して、思わず「ハ~~~~ッッッ」と声が出た。
(楢原さんにも「そんなに感動してもらえるとは...」と引かれた)
こんなにも簡単で美しいコンバージョンの生み出し方があるのかと感動した。
何より、自分の何気ない行動の裏側にこんな導線があっただなんて...。
セミナーの存在の認知からセミナー終了後まで、どこをとっても完璧なUXだ。
美しい。

 

 

 

 

以上が今回のセミナーの内容および感想である。
セミナー内容すべてを紹介できたわけではないが、わたしにとっての新たな気づきや心躍った点についてはすべて書けたはずだ。
マンツーマンだったこともあり、随時疑問を感じたところはストレートにお聞きし、そこからディスカッションが生まれたりもした。
3時間の予定が30分オーバーしてしまったものの、あっという間の3時間半だった。
こんなにも楽しくてワクワクする時間になるとは思っていなかった。
24歳のわたしがこう言うと楢原さんに失礼かもしれないが、感覚の合う人と話すのはとても楽しいことだった。
そして、このセミナーに参加したおかげで、わたしはライティングにこだわりを持っているわけではなく、自分の表現したいことを表現するための手段としてライティングを用いているのだと気づいた。
表現方法はライティングだけでなく、動画などでもよいのだが、手軽さと心理的抵抗を考慮したときにわたしにとって最もフィットするのがライティングなのである。
わたしは文章を書くことを通じて、表現したいことを表現し、人々に伝えていきたい。
それによって世の中のハッピーが少しでも増えることを望んでいる。

 

 

【お知らせ】

最近Twitter始めました。

https://twitter.com/kiiinu2828


フォロワー増えるといいな...何卒...。

 

 

偶然知り合った学生にメタファーワークを提供した話

 

今日は4年ぶり?に書くPのメタファーワークを行った。
偶然知り合った、関東に住む大学3年生の男の子に、オンラインで、メタファーワークを提供したのだ。
*メタファーワークとは...
直感で描いた絵から、自分らしさを引き出し、言語化するワークのこと。

 

偶然とは言っても、彼とはbosyuを通じて知り合った。
わたしが出した「就活中の学生さん、新卒2年目リクルーターと一緒に働く価値観を言語化しませんか??」というbosyuに「就活を始めたけれど、どうしても働くことに対してポジティブなイメージを持つことができない」と相談のメッセージを送ってくれたのだ。

先日、彼と1回目のオンライン面談を行った。
その日は、彼がなぜ働くことに対してポジティブなイメージを持てないのかの理由を聞いたり、なぜわたしが日々楽しく働いているのかの理由を話したりした。

彼は、この面談の前にこのブログを読んでくれていたのだが、話も終盤に差し掛かったころ、ぽつりとこう言われた。

「ブログに書かれていた書くP...?っていうのも気になりました」と。

その場の勢いでわたしはこう言ってしまった。

「じゃあ今度、そのときに行ったワークをやって、自分らしさや自分が大切にしていることを一緒に言語化してみましょうか!」

 

わたしから見て、その彼は、非常に誠実で、優しい雰囲気を纏った良い人だった。
だからこそ、働くことに対してまじめに悩んでいる様子をなんとかしたいと思ってしまった。

大学2年生の、まだ何もできなかったころの自分がやっていたワークを、1on1でできるのだろうか?
そんな不安を抱えながら今日を迎えた。

 

当時のFBグループの投稿や、ノートに残していたメモを見返した。
やっていたことやワークの進め方、その人らしさの引き出し方は思い出せたものの、当時は先輩方と一緒にやったからこそ上手くいったワークだ。

 

「わたしは今日、彼に何かをGiveできるのだろうか?もしできなかったら、できないという事実を受け止めるのがこわい。」と、彼もびっくりであろうなかなかの重い気持ちで臨んだ今日だった。

 

結論から述べると、彼はワークの途中で「ハッ...!」と新たな気づきを得た表情を見せてくれた。

わたしは書くPや夢チャレをしていたときから、この、自分でも気づいていなかった新たな自分を知ったときの明るい表情を見るのがとても好きだった。
それまで特に楽しそうでもなかったワークが一気にすごいものに変わる瞬間だ。

 

これは、今日彼が描いてくれた「出会ってみたい/見てみたい、未知の景色」だ。

 

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こんなストーリーらしい。

 

1人になりたくて、たまたま見た方向に海があった。
車に自分の好きなものを詰め込んで、愛犬と共にこの海へと走った。
草をかき分けてようやく入れた砂浜。
ここはまだ人の手がまったく介入されていないようだ。
僕が持ってきたお香や香水、それから本とコーヒーをここに置いてみよう。
僕の好きな雰囲気ができた。
快晴の空の下、海の真ん中には太陽と波が見える。
沈みかけの太陽は圧倒的に綺麗で僕の心を落ち着かせてくれる。
この自然の中に僕の好きなものがある空間がとても好きだ。

 

ここから、いろいろと質問をしていき、彼らしさを引き出していった。
わたしからすると、前回話した中で感じた彼らしさばかりが言葉として出てきて、新しい発見がないのではないか?と不安になった。
しかし、途中でいったん話を整理したときに、先述した気づきを得た表情を見せてくれたのだ。

プライバシーがあるので、詳細を書くことは省くが、彼が大事にしていることや好きなことを言語化したうえで、この先の人生で何をしたいかが見つかった良い時間となった。
そして、そのために明日から何をやるかまで言語化してくれた。

 

いつかどこかで自分が全力を注いだことが、こんな風にまた活きるのだ、と思えた時間だった。
今日のこのワークの時間は、採用という面で仕事に関係しないことはないが、ほぼプライベートでの出来事だ。

わたしは書くPや夢チャレでやっていたことが、本当にただただ好きだった。
何の見返りも求めず、ただひたすらに、「相手に何かを持ち帰ってもらいたい。そのために自分ができることをしたい。」と思えるプロジェクトだった。
(と書いている時点で何かの見返りを求めているのかもしれないが)

それは、わたし自身が「わたしはこうありたい」とか「わたしらしさってこうだ」というのがはっきりとしていて、それをまわりに伝えながら生きている人間だからかもしれない。
そういう人がもっと増えれば、世界はもっと楽しく、もっと自由になるんじゃないかと思っている。

だから、なかなか普段の生活で今日みたいなことをやる機会はないかもしれないが、わたしはわたしのできることで誰かに貢献できるのならそんなに嬉しいことはない。

 

彼に対しても、この先の人生で彼が望むものを手に入れることを願っている。