記録

26歳OLが真面目なことを書いたり書かなかったりやっぱり書いたりする

仕事の楽しさと人生の豊かさとキャリアと

もうすぐ社会人3年目が終わろうとしている。

わたしが働く会社では毎日のように「組織風土」、「チームづくり」、「人材育成」など、人に関するテーマが話されている。

これは極めて合理的なことで、あらゆる問題を深掘っていくと、必ず人間性(心根)にたどり着く。

そうであるならば、いかにひとりひとりが人間性を高め、その人たちでどんな組織を形成していくかを考えることに時間を費やすのは普通である。

(とは言えこの会社は創業以来ありえないぐらいそこに時間を費やしている)


それで、わたしが今思うのは「愛社精神」と「覚悟」が非常に重要だということだ。

なぜなら、この2つをいかに持っているかによって、

①やりがい、充実感

②①によって生じる成果、会社に対する貢献

③②によって生じる評価、待遇

が変わってくるからだ。

この2つを持つ度合いが高いほど①〜③は豊かなものになる。


わたしたちはプロサッカー選手がサッカーをするように仕事をしている。

サッカーが好きでサッカーが楽しくてたまらない。

そしてこのチームを必ずや勝利へ導きたい。

そんな気持ちで日々仕事に励んでいるのだ。


わたしが思う、この会社の敗北とは、わたしたちの思う正しさが世の中に通用しないことだ。

(この正しさのことを「新しい昭和」と呼んでいる)

わたしたちは仕事は娯楽のようなものだと思っているし、徹底的に人を大事にし多様性を尊重するし、性善説に基づいてマネジメントをするし、原理的民主主義による意思決定をする。

このようなわたしなりの正しさ(=仮説)を持ちながら経営をしているのだ。


わたしは人生をかけてこの仮説を証明していくことに意義を感じている。

なぜなら心の底から共感しているし、この仮説が証明されたら世の中はもっと良くなると信じているからだ。


話は少し変わるが、なんらかの理由でコウダプロという会社を辞めて、他の会社で働くことになったら、生体としては生きていても心はどこか死んでいるように感じるのではないかと思う。

わたしにとってコウダプロで働くことで感じる楽しさや充実感は「生」そのものである。

こんなにも人生を全うしている感覚を持てて本当に幸せだ。ありがたいことだ。


そんなことを思いながらも、社会人3年目が終わろうかとしているにも関わらず、「わたしはいったい何ができるというのだろう?」とふと疑問に感じた。


仕事柄、他社の求人を見て勉強することがある。

キャリア採用ページを開いて「求めるスキル」欄を見たとき、「わたしは採用という職種ぐらいでしか成果をアピールできないのではないか?」と思ってしまった。

(それとは別で、しっかりやったわけではないが、業務改善や生産管理はかなり得意だと自負している。得意というかもはやそういう性質なのだ。)


もちろん転職する気は甚だない。

それに自分のキャリアプランなんてものも持っていないし、キャリアの積み上げに興味もない。

とは言え、アピールできる成果がないのではないか?と気づいてしまうとなかなか焦る。


わたしはマルチタスクで幅広いいろんな仕事を経験させてもらっている。

本当に大事なことは曖昧でわかりづらいものであることが多いが、それを言語化できないのは自分の足りなさではないかとも思う。

未だに「あなたの仕事はなんですか?」と質問されると回答に窮してしまう。


わたしの仕事は何なのだろう?


自問自答しながら、また明日から精進するのみだ。