記録

26歳OLが真面目なことを書いたり書かなかったりやっぱり書いたりする

「失われた30年」は熱意を持った働き方ができれば40年にはならないのではないか、という話

 

大学3年生ぐらいから、わたしはずっと「みんなが自分の好きなことや得意なことを仕事として生計を立てられたら、世の中はもっとハッピーになるのではないか?好きでもない仕事を我慢しながらやっていても、その成果を授かる人々はあまりハッピーではないような気がする。だから、わたしはそんな世界を創りたい!」という想いを持っている。

 

「失われた30年」、「なぜ日本企業は競争力が低いのか」
そんな話を聞いていると、「そりゃあイヤイヤ仕事している人々が集まって生産活動をしていたらそうなるだろう」と思ってしまう。

 

人は、自分の好きなことや楽しいこと、ワクワクすることにしか熱意を注げない。
熱意を注ぐとは、我も忘れて、ただひたすらにその物事に向き合ってしまうことだ。
そこには時間もお金もあまり関係ないような気がする。

 

働き方改革、生産性向上、ダイバーシティの推進・・・。
これらは何のために謳われているのだろうか??
世の中をよりよくするため?
もちろんそれもあるだろうが、それ以上に「楽をしたい」とか「こういうことぐらいにしか目を向ける気がない」とかいうような気がしてしまう。
なんだか上手く言えないが、守るばかりでより良くしていくためにすべき攻めをしていないのではないだろうか。
割合としては小さな悪をなくすために大きな善を自ら手放しているような…。

 

これは否定的な批判ではなく、本当に「失われた30年」や「なぜ日本企業は競争力が低いのか」といったことを課題とし、解決したいのであれば、もっと異なるベクトルに目を向けたほうが良いのではないかと思うだけである。

 

熱意を注いでやる仕事からは、きっと良質で人々を喜ばせるアウトプットが出てくるだろう。
というか、真に良質で人々を喜ばせるアウトプットを出したい人たちは働き方改革、生産性向上、ダイバーシティの推進なんてこと、無視はせずともフォーカスはしていないのではないだろうか。

 

改革やルールは"何のために"適用するのかをよく考えて使いたい。

 

というわけで、冒頭に書いたわたしの想いは、わりと本気で目指してもよいことなのではないかという気がしている。

 

鉄オタは鉄オタを極めて、それで食べていけるようになると幸せだなぁ
昆虫が好きな人は昆虫採取を毎日できるようになると幸せだなぁ
お菓子作りが好きな人はそれをどんどん極められるようになると幸せだなぁ

 

わたしは、こんな「ようになると幸せだなぁ」を実現していきたい。
そして、そのための第一歩は、まず自分が楽しいと思えること、ワクワクできることを仕事にして豊かに暮らすことだ。
自ら体現することが、何よりもの説得力になると、今は思っている。

 

遊ぶように仕事をし、仕事をするように遊ぶ。
これは良いことだが、仕事は遊びではないし、職場は遊技場ではない。

 

何のために何をどう変えていくべきなのか、私自身もまだまだ前提条件に縛られていることだらけなので、もっと透明な人間になりたい。