記録

26歳OLが真面目なことを書いたり書かなかったりやっぱり書いたりする

自分を変えることについての面白い話

 

昨日、会社で社長から「自分を変えることそのものは目的になりうるのではないか」という話を聞き、それがとても面白かったので少しの持論も交えながらここに記したい。

 

一般的に、「自分を変える」や「成長」は、何かしらの目的がある上での手段であると言われる。
私は目的・手段論争をしがちなので、やみくもに「成長したいんです!」という人を見ると(何のために?)と思ってしまう。

しかし、社長の主張はこんなものだった。
「確かに自分を変えることは手段なのだが、それは実は表層的な話なのではないだろうか。変えることそのものは目的になりうるという深い気付きに達した気がする。」

 

ベイズの定理」を使った「モンティホール問題」なるものがある。

qiita.com

 

詳細は上記に譲るが、つまり、「変えると当たる確率が上がる」のだ。

 

世には自分を頑なに変えたがらない人が多い。(と私は見受ける)
エゴからくる何かへの固執や執着が強いからだ。
「私はこういうスタイルだから」
「そんなこと言われる筋合いはない」
「なんで私が変わらなきゃいけないの?理由は?それってメリットあるの?」
など。
特に女性はメリット・デメリットで判断しがちらしい。

 

でも…。
モンティホール問題を見るに、理由や目的なしに変えることは合理的なのだ。
誰かから「あなたのこういうところをこう変えたほうがいいよ」と言われたとしよう。
その時、良心に背かない限り、変えてみたほうが人生は良くなるのではないだろうか。
だって、変えてみて良い結果が出なければ、良い結果が出るまで変え続ければ良いのだから。

 

おそらく、自分を変えるということはトライ&エラーの繰り返しなのだと思う。
変えないという選択を取り続ける限り、トライがないのだから何も変わらない。

 

私は自分を変えることに抵抗がないほうである。
相対的に好奇心が旺盛で、相対的に素直だからだ。
また、飽きっぽい性質も起因しているだろう。

それで、これまでの自身の人生を振り返ってみると(と言っても20数年しかないが)、大学生以降どんどん自分を変えてきたように思う。
そしてその結果、どんどん人生が豊かになっている自覚がある。

自ら「ここは変えたほうがいいな」と思って変えたところもあれば、信頼する人から指摘されて「この人が言うんだったらそうしたほうがいいんだろう。まあとりあえず変えてみるか。」と軽い気持ちで変えたところもある。

 

嗚呼、「変える目的がわからない」と言って自分を変えないことのなんともったいないことか。
論理的に証明されていることを実践しないとなると、それはバカか人生を良くする意志がないかである。

 

まあ他人が自分を変えようが変えまいが良いのだが…。
とにかく私にとっては面白い話であったし、これからも合理的選択として自分を変え続けていこうと思った次第である。