わからない人のことをわかろうとすること
こんばんは。
今日は仕事をしながら難しいなあと思うことをつらつらと書いてみたい気分です。
(と、某プロジェクトの進捗報告を見ながら思いました)
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わたしはディスカッションのファシリテートや内容をホワイトボードに書くなどして可視化することを積極的にするほうです。
これは大学で身につけた力で、今の仕事にも活きていることです。
しかし、ディスカッションの参加者全員が共通認識を持った状態でディスカッションを進めることはとても難しいです。
わたしが発する言葉の定義とその言葉を受け取る相手が持つ定義が違ったり、わからないことがあってもわからないと言い出しづらい雰囲気があったり、自分に関係のなさそうなことは聞いていなかったり…。
だからなんとなくの理解や誤った理解が生まれ、それが後に問題となって浮き出てきます。
「あの時こういう話をしましたよね?」
わかっている人はこう言えるけれど、わかっていない人はここでわかっていなかったことを自覚したり、面倒ごとを放置した後悔を感じたりするのだと思います。
でもこれはわかっている人にも問題があります。
わかっている人はわかっていない人への十分な理解を促せていないのです。
わたしはディスカッション前には必ず自分で一度ディスカッションに臨むための前提条件を、参加者に見えるようにして書き出します。
前提条件というのは、ディスカッションの結果得たいこと(=目的)、それを得るために必要な情報、自分が現時点でわかっていないことなどです。
自分の中でそれらが整理できたら他の参加者に前提条件を共有します。
そこからようやくディスカッションの開始。
疑問点や決定事項は随時書いていきます。
決定事項については重要なので、参加者に繰り返し「ここはこうでいいですね?わからないことはありませんか?」と聞きます。
ようやく全てのディスカッションが終わったら、議事録を書く人を決めます。
わたしは、議事録を書くのはこのディスカッションの結果が大きく仕事に関わりそうな人や、内容をあまり理解できていなさそうな人が適任だと思っています。
だからそういう風に促そうとしています。
それで、議事録を書いてもらい、書けていたら理解できているのだなと安心できます。
ここで書けないとしても、いくらでもフォローしますし、フォローして理解できるのならそれで良いと思っています。
しかし、ここで書けていても理解できていなかった、ということもあるのがすごく難しいです。
わかる人はわからない人の気持ちをわかりづらい、でもそれをわかれないとわたしは本来この立場にいれるべき人ではないのだろうなと思います。
加えてわたしは徐々に余裕がなくなり、言い方がきつくなってしまう傾向があります。
そのことが益々相手がわかっていないことをそのまま伝えられない原因にもなるのだろう、と反省しながらもなかなか自分を変えることができません。
だけどここでわからない人に100%の理解を求めるべきなのだろうかと考えるとそれも違うような気がしています。
目的のために最低限全員が理解しておくべきことはなんなのか、その中で誰は全てを理解しておくべきなのか、そういったことを予め決めておく必要もあるのではないかと思っています。
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ディスカッションにおいてのテクニカルなこととしては、
・今から何のために何についての話をどのくらいの時間かけて行うのかの共有をする
・参加者の物理的な距離を近づける
・前提条件の書き出しは黒ペン、ディスカッションしながら出てきた意見は青ペン、決定事項は赤ペン、などとホワイトボードに書く色を変える
・ホワイトボードで書くときには、矢印や吹き出し、まとまりごとに四角で囲む、番号を振るなどして一目見てわかるような書き方をする
・参加者から出た意見は全て一度受け入れる(=書く)、その上でその意見が必要か必要でないかをさらにディスカッションする
・少しでも曖昧なことは明確になるまでディスカッションする
・ディスカッションの最後には決定事項を再度共有する
などがあるかと思います。(もっとあるだろうけど今思い出せるのはこれぐらいです)
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わたしが働いている会社では「目的志向」、「生産性の向上」、「適正品質」、「曖昧排除」、「得手不得手」、「なんで?」、「自分の頭で考える」、「クオリティとしての世界企業」などのワードがよく耳に入ってきます。
そういった会社だから、日々多くの気付きや反省点、やりたいことが見つかります。
今日書いたことはその中の一部でしかありませんが、社会人として2ヶ月過ごしてみて、こういうことを思っていますという記事でした。