わたしはなぜ働くことに楽しさや幸せを感じているのか?
今年の4月に社会人になってから7ヵ月が経ったのですが、わりと毎日"働くこと"に楽しさや幸せを感じています。
今日はそれがなぜなのかについて言語化してみます。
7ヵ月間、社員として働いてみたわたしが思うことは、「会社の理念や考え方、目指すところに共感している」状態であれば「仕事は楽しい」ということです。
そしてこの状態は入社前から今までずっと変わりませんし、この共感が今の会社に入社する理由でした。
わたしが働いている会社の理念として、
1.感謝の気持ちを持つ
2.柔らかい心を持つ
3.貢献意識を持つ
という三原則が掲げられています。
入社前に代表と後の直上司となる方と面談をしたとき、代表からこんなことを言われました。
「あなたがもしうちに来て成長できるかどうかは柔らかい心を持てるかどうかにかかっている」
今思い返すと、大学生だったわたしに、理念という名の結構重い課題を課しているなあ!!と感じます。
当時のわたしはどうだったかというと、この代表の言葉を素直に受け入れることができました。
それはなぜなら、当時のわたしが感じていた数多の自分の癖(=自分の嫌なところ、治したいところ)の根源は柔らかい心を持てていないことだと納得できたからです。
だから入社してからも常に「わたしは柔らかい心を持てているだろうか?」と自問自答しています。
また、学生時代には所属していたゼミで「ジブンゴトとして考えること」の大切さを執拗に言われていました。
"ジブンゴト化すること"と"柔らかい心を持つこと"が組み合わさったら人生最強です。
怒ることや愚痴ることが昔に比べて随分と少なくなりました。
心が穏やかでいれると、自然と何事も楽しくなるような気がしています。
※これは今のわたしがジブンゴト化できているとか柔らかい心を持てているといった話ではなくて、そのような考え方を知ったうえで働いているかどうか、ということです。
そしてもう1つ。
学生時代のわたしはこの先のキャリアプランのようなものを職業を軸に考えていました。
例えば、マーケティングという職を極めたいのであれば、何歳までにどんな知識や技術を持っていたいか、といった考え方です。
ですが、今思うのは、わたしにとってこの考え方は楽しさを感じるものというよりも自分を苦しめる可能性があるものだ、ということです。
確かに知識や技術を身につけて専門性を高めることができれば、スキルアップし、給与もどんどん上がっていくことでしょう。
ではわたしははたしてこのようなスキルアップを目指していきたいのか?
そう自分に問うたときに思ったのは、「特定の専門性を高める仕事のやり方よりも、人間性を高める仕事をできる環境で働くほうがわたしにとっては幸せなのではないか」です。
人間性を高める、だなんて言うと白々しく感じられるかもしれませんが、今の会社で働き出してからは本当にそれを目指しています。
人としてありたい姿、その姿を目指して日々努力すること、そしてその姿を実現できたときの人生の幸福度は凄まじく高いものだと思っています。
冒頭に書いた、「会社の理念や考え方、目指すところに共感している」状態であれば「仕事は楽しい」というのは、今の会社が"人間性を高める環境"として他にはないぐらい優れているからです。
もちろん、専門性は身につけたいと思いますし、給与は高いほうが良いとも思います。
ですが、それは目指すところではなく、働くことを楽しんだ結果として自然とついてくるものなのではないでしょうか。
今のわたしは以上のようなことを"楽しい働き方"だと思っていて、これからの楽しい働き方のスタンダードはこんなことになっていくのではないかなあとぼんやり思っています。
そうなったときに、「わたしは誰なのか?わたしは何を大事にしているのか?わたしはどう生きたいのか?」みたいなことを立派に言えていないと社会で通用しないでしょうし、企業側も「わたしたちはなぜ存在するのか?わたしたちは何を大事に事業活動を行っているのか?わたしたちはどうなりたいのか?」みたいなことを立派に主張できると、わたしにとってはもっともっと楽しい世の中になっていくだろう!とワクワクしています。
以上、社会人1年目の11月中旬のブログでした。