記録

26歳OLが真面目なことを書いたり書かなかったりやっぱり書いたりする

「自分の頭で考える」とは「柔らかい心を持つ」ことと「自分の中に譲れないものや軸を持つ」こと



こんばんは。

社会人3週間目を過ごしております。

今朝の会社での朝礼中に感じたことを記しておきます。


わたしが働いている会社では「自分の頭で考える」ことを徹底する風潮が強くあります。

どこに行っても当たり前のことだろうけど、資料を作成するにしても、メールを書くにしても、電話をかけるにしても、コーヒーを淹れるにしても、手紙を出すにしても全てなぜそれをやるのかを自分の頭で考えることが大事とされています。


そんな「自分の頭で考える」ということ。

そのためには、柔らかい心を持つ(これも会社ですごく大事とされていること)ことと自分の中に譲れないものや軸を持っておくことが必要だと感じました。

そしてさらに必要なのはその2つのバランスを取ることです。

柔らかい心を持つだけでは誰かの言いなりになってしまうし、自分がぶれぶれになってしまう。

自分の中の譲れないものや軸は時としてただのエゴになってしまう。

だからバランスが必要なのですが、これってすごく難しいことだと思います。


誰かに言われるがままに行動することが楽だと感じる人もいるだろうし、ただのエゴでしかないのにこれがわたしの個性だから!と言い張ってやり通してしまう人もいる。


わたしは「自分の頭で考える」ことができているほうかな?と自己認識していましたが、自分の頭で考えることがこの2つから成り立っているのだと気付いた今、果たして本当にできているのだろうかと自問してしまいます。


大学生時代に書くPを提供する側もされる側も経験しました。

でもわたしはイマイチ自分の"志"がなんなのか見つけることができませんでした。

書くPを担っていた女性の先生はいつかどこかでこんなことをおっしゃっていました。

「書くPを通じて自分の志を見つけ、それを持ち続けている人は社会に出ても立派に生きている。」と。


自分の中に何かしらの思考や行動のクセがあるのだろうなとは思っています。

でもそれを言語化することはできていません。

「なんとなくわたしはこう考えたりこう行動したりする。」

じゃあそのなんとなくを言語化するには?

それが志に繋がるのでは?


今はこのような心地よいモヤモヤを抱えています。

思い返せばわたしの人生は物心ついたときからこれがずっと課題のままあるなあとも感じています。

そしてこの課題に人生の局所局所で向き合っていて、向き合うたびに完全に克服はできずとも少しずつ改善されているような気がします。




もう22歳。

まだ22歳。




焦らず、じっくり、着実に生きていきます。